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ブログ2022.03.27

大阪場所は平幕同士による優勝決定戦!そして静かに幕を引く力士の姿が…

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3年ぶりに本格開催された大阪場所も本日が千秋楽でした。
世代交代の過渡期を象徴するかの様な新旧平幕力士同士での優勝決定戦は、横綱不在でも場所を大変盛上げてくれました。
そんな千秋楽でしたが「角界の常識を覆した一人の力士」が今場所をもって静かに引退しましたのでご紹介させて頂きます。

ヒザの靱帯断裂で神経も完全断裂!力士生命の危機以上に日常生活を取り戻せるか?のレベルのケガ

この力士は千葉県にある相撲部屋に所属されており、私がこの相撲部屋のトレーナーとして活動を開始した10年前には既に入門していた大変有望な力士でした。
この力士は大阪出身との事もあって親近感が沸き、いつからかニックネームを付けるほどの間柄になっていました。因みにニックネームは「座頭市」です。

その後、メキメキと力をつけ関取の地位も現実味が帯びていたある日の稽古中、この力士は膝を脱臼し、主要な靭帯が断裂した上に「腓骨神経」という足首を動かす為にある重要な神経までも断裂してしまったのです。負傷後に東京で緊急入院をしていたのですが、先の見通しがハッキリしない中、ある日女将さんから「相撲の復帰は諦めていますが、何とかして装具を装着する程度で歩行が出来るようにして頂けないか…」と涙ながらの連絡が入ったのです。そしてよくよく話しを聞いてみると「靭帯の縫合手術は終えているものの、神経の縫合手術はされていない」ことが判明したため、慌てて新金岡駅近くの正風病院にいらっしゃる膝の大権威の医師に相談したところ、急きょ大阪の病院で受け入れてもらえる事が決定し、女将さんの運転で東京から大阪へ移送が実行されました。

追い打ちを掛けるように術後の感染症で生命の危機に

大阪では膝の先生と神経縫合の専門医がチームを作って受け入れ体制を整えて下さっていたのですが、いざ力士が到着してみると患部は腫れ上がったままでかなりの高熱も出ており術後感染症にかかってしまっている状態で生命の危険すらある状態でした。これではまず感染症の処置を優先しなければならず、大阪での手術は延期する事となりました。それでなくても神経の縫合手術は一刻を争わなければならないのに、感染症の状態では患部が化膿してしまっているので日常生活の復帰もままならない状態になっていました。
その為、せっかく大阪の病院へ入院できたのですが、感染症の応急的な処置のみとなり医師からは「もう一度最初の靭帯縫合手術を行った東京の病院へ戻って、感染源の特定と感染症を完全に治癒させる治療に専念した方が良い」との事で、今度も女将さんの運転で大阪から東京まで移送され、再び 東京の病院へ戻り、そこからは約1年近く入院となるほど深刻な状況に陥っておりました。
長引く入院の中で見舞いにも行ったのですが、身体の大きな力士もずいぶんと小さくなってしまい、負傷からだいぶと月日が経っていたにも関わらず、まだ足も動かずに神経も通っていな状態を知り、本当にいたたまれない気持ちになりました。

1年近く入院しても回復しない現状

見舞いに行った数日後、女将さんと本人から連絡が入り「やはり奈良(大阪)でリハビリをお願いしたい」と申し出があったのです。
この最悪な状況の中で私も当然、回復させる自信もなく、かなり困惑していた中で新金岡駅近くの膝の専門医に相談したところ「私と君とで何とかしてあげようよ」と激励を頂き、受け入れを決意した経緯がありました。この整形外科の先生がいて下さったことが何よりも心強く、とても私の知識だけでは踏み切れる症例ではありませんでした。

先ずは装具を着けてでも歩くことを目指して

関西での受け入れ体制が整い、また東京からこちらへ来られ当院で患部の状態を確認したところ、負傷後すでに1年も経過していたのにまだ浮腫も引いておらず、足首は当然ながら全ての指も動かず、膝から足先の感覚神経もかなり鈍化しているという悲惨な状況で「どこから手を付けるべきか?」の判断すらままならないほど頭を抱え、リハビリを開始していくことになりました。

マクロファージ活性因子(MAF)療法が劇的に状況を好転させる

先ずは私が出来る範囲として、下腿部から足先に掛けての浮腫を取り除くことを優先しました。
意外と運動神経も感覚神経も浮腫によって阻害されている可能性が少なからずともあると判断し、私の師匠の直伝である患部圧迫方法を繰り返しながら、次なる秘策を考えていたのです。
そして、圧迫法と並行して考えたのが「マクロファージ活性療法」でした。この力士の場合は細菌感染が強かった時に抗菌剤を長期間投与していたため「薬剤が順応してしまっているのではないか?」「仮に菌が残存していての浮腫であれば自己免疫を強化するしかない。」と思ったからです。
その上で「患部を再生させるためにもマクロファージの存在が欠かせない」と考え、この分野の先駆者であるサイエンスクリニックの乾利夫先生に相談して「マクロファージ活性療法(MAF)」を用いたリハビリも開始しました。

サイエンスクリニックの再生医療専門医である乾利夫先生との共同研究

もともとMAFは「ガン患者の免疫を向上させる療法」として確立していましたが、「スポーツ障害の回復にどこまで効力を発揮するか?」が未知数であったため、乾先生のご好意で共同研究を行うことになったのです。
すると1ヶ月も経過しないうちに浮腫がなくなり始め、感覚神経も戻り始めたので詳しく検査を行うために「くぼりクリニック」の久堀先生(神経内科専門医)にお願いをして筋電図検査を行ったところ「まだ諦める必要はない」との見解を頂きましたので、今度は「いかにして生きている神経の伝達を良くするか?」の一点で、ネガティブイオン療法とナノバブルオゾン療法(ブライトストウォーター)も併用しリハビリを継続しました。すると見る見るうちに症状が回復し、最初は浮腫がなくなり、感覚神経も完全に戻り、足首が動き出し、ついには指まで動き出すという奇跡が起こったのです!
実のところはMAFとネガティブイオンがベースとなってかなり快方に向かっていたのですが、残り僅かなところで回復が停滞してしまっていた時に投じた「ブライテストウォーター」で日常生活は完全回復に至ったというのが、関西に入ってからの半年間の経緯です。

常識外れ?これまでの大相撲にないリハビリを手探り状態で開始

そして一旦千葉へ帰られたのですが、それと同時に親方から連絡が入り「二度と相撲は取らせません」と断言され、本人に対しても引退勧告をされたとのことでした。
もし土俵に戻れるまでに回復しても、また万が一再負傷をして日常生活も出来なくなってしまっては…という親方の想いからだったのですが、当の本人はその勧告を受け入れず「現役を継続する」という無謀な判断をしたのです。
そして今度は「土俵に上がるためのリハビリ」をもう一度、奈良で開始して順調に回復していき、負傷から2年を要しましたが、見事土俵に復帰して負傷前に近い番付にまでのぼり詰めました。

先ずはヒザの名医の助言が無ければ進まなかったこのプロジェクト

このドラマには常に症状を経過観察して下さった新金岡駅近くの病院にいらっしゃる膝の大権威の先生の存在が大きく、そしてサイエンスクリニックの乾先生と共同でMAFを用いて国内で初めてスポーツ障害に挑んだ再生療法の効果が抜群でありました。

エキスパートの先生や専門分野に精通する専門家の結集が奇跡を生む

また神経伝達を詳しく調べて下さった くぼりクリニックの久堀先生の存在、そしてブライトウォーターと還元電子療法が神経伝達機能の回復の最終手段となったことは明らかであり提案してくださったレイ&カンパニーの見片社長とブライテスト社の岩永副社長には大変感謝しています。この方々の協力が無ければこの力士の奇跡は起きなかったと断言できます。
正にお役目的な方々のお陰での結果であり、神恩感謝の思いでいっぱいです。

先代親方と女将さん、現親方と部屋付け親方の献身的な思いと本人の強い意志が各界のリハビリの常識を変えた

そして何よりも本人が諦めずに、めげずに回復を目指して頑張ったことがこれからの相撲界の常識すらを変えてしまうまでに至ったのですから。
今回のこの力士の怪我は、巨体を支える力士には致命的であり、また同じ怪我をした力士が即引退していった中で、今回の力士の忍耐と頑張りは新たな希望の症例となり、現在、幕内から序二段まで陥落して幕下上位まで戻ってきている力士にも、この怪我をしても這い上がった力士の経験が励みとなっているそうです。
そして、この力士を支えた先代親方と女将さん、現親方と部屋付親方の献身的なフォローがあって生まれた奇跡の集合が今回の回復に繋がりました。

最後にこの悲壮な戦いの中での感動のドラマは、誰一人、そして何一つの出来事が欠けても実らなかった奇跡です。
先日、このヒザの大権威と大阪場所を観戦させていただいた際に、この力士の最後の勇姿を見納めた後、あの時の回復症例の話となりました。医師と医療従事者として互いに30年以上も活動している中でも「本当に勉強になった症例で、これから同様のケガをした力士にとっての回復症例として良い指針を後世に残した」と、この力士の努力を称えました。
因みにこの力士は今回の経験を活かして、これからは自身も「医療従事者」を目指し専門学校に進学されるそうです。

後に先代親方の女将さんから聞いた話ではここまでの大ケガをするとこれまでは即時引退という協会内での雰囲気みたいなものがあったみたいで、今回の「天津」の復帰には協会内や力士間でも時間を掛けてしっかりとリハビリをすれば復帰できるのだとの勇気を与えることが出来たと聞いています。
後に天津と同様のケガをした友風関もそうなのですが、横綱照ノ富士も確か序二段まで陥落してから横綱まで昇進していること自体が異例であり、今回の復活劇がケガで苦しむスポーツ選手に勇気を与えられているとっしたら天津が残した各界への功績は大きかったと思います。少なくとも友風関は天津と連絡を取りリハビリを進めていたとも聞いていますので…
この話を知った堀部先生と私も感動して会うたびにこの話で尽きない事もある位に医師や医療従事者の心を動かし感動を与えてくれた出来事でもありました。

感動をありがとう!座頭市 
ありがとう!テンシン!

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