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ブログ2023.06.05

白いウルフとの再会 

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白いウルフとの再会 のアイキャッチ画像

前回、阿武咲関の奮闘をブログで紹介させて頂きましたが、今回はその阿武咲関の先代師匠と少し前にお会いさせて頂いた話を紹介させて頂きます。
私は昔から大相撲力士と縁する事は少なくなかったのですが、当院の患者さんで大阪大果青果の植田会長の紹介を受けて「阿武松(おうのまつ)」という大変聞き慣れない相撲部屋と縁する事となりました。
そして、その部屋の当時の親方が元関脇の「益荒雄(ますらお)」です。
「益荒雄」と言えば、軒並み横綱・大関に土を付けた伝説の関取で、この強さは横綱「千代の富士」に対しても例外ではありませんでした。1987年3月場所では2横綱、4大関と実力者がひしめき合っている中で、この強者たちにことごとく土を付けたのがこの益荒雄で「益荒雄旋風」を巻き起こし、技能賞1回、敢闘賞そして殊勲賞をそれぞれ2回受賞されるなど、私たちの年代ではとても記憶に残っている関取でした。

眼光鋭い白いウルフ

当時は横綱千代の富士のその鋭い眼光に「ウルフ」というニックネームがつけられ、その横綱や大関をなぎ倒していた益荒雄の鋭い眼光に対しては「白いウルフ」と称されていました。
そうとも知らずに初めて大阪での稽古場に出向き阿武松親方にお会いした際に「あの益荒雄?」と驚いたのを今でも鮮明に覚えています。
稽古場の雰囲気はとても緊張感があり、眼光の鋭い親方が見つめていると力士たちも気を引き締めざるを得ないような稽古場でした。そして、力士たちはとても礼儀正しく力士にありがちな横柄さの微塵もありませんでした。それは当時の弟子であった小結若荒雄関(現:不知火親方)や幕内大道関(現:阿武松親方)も同様で、関取なのに誰に対しても礼節ある態度で接しられていたのが印象深く残っており「親方の教えを実践しているのだな」と感じていました。これまで私もいくつかの相撲部屋に縁してきた中で、最も心技体の指導が行き届いている部屋であると感心させられました。
現役を退かれ「親方」となっていた元益荒雄でしたが、接してみると顔つきはやっぱり「白いウルフ」でした。眼光が鋭く、決してフレンドリーに話をする事などできる雰囲気ではないように思えたのですが…
意外と言っては失礼過ぎるのですが、弟子たちよりも遥かに上回る礼節と配慮の持ち主で、私にも丁寧に接して下さり、何人に対しても腰が低く真心から接して下さる素晴らしい親方で、お陰でこちらも気構えることもなくフレンドリーに色々なお話をさせていただく事ができました。

本場所で「おもてなし」の実践者

特に印象に残っているのが本場所中の親方の受付での姿でした。私が会場で「もぎり(チケット確認)」をされている当時の阿武松親方を発見し、こそっとしばらくの間見ていたのですが、入場するお客さんに対してとても懇切丁寧に接しられ、案内までされていた姿に感銘を受けました。それまでの印象では「もぎり」の親方や世話人は礼節さに欠け「横柄」「ふんぞり返っている」方が少なくなく、観戦するお客様をおもてなしをする配慮に欠けている感が否めなかったため、意外にも「“お茶屋”や“もぎり”の雰囲気が嫌い」というのが理由で大相撲観戦離れをする人も少なくないのでは?と正直思っていました。
この点、先代阿武松親方は本来大相撲協会が重んじるべき「和の精神」や観戦者に対する「おもてなしの心」を実践されていた素晴らしい親方でした。

間髪入れない名裁き

また、阿武松親方は審判部に所属されてからは微妙な取り組みや軍配には間髪入れずに手を上げる(物言いする)傾向がありました。
私も仕事の関係で真近くで本場所を観戦する事が多いのですが、なぜか取り組みの観戦に熱中するよりも裏方の人の動きや審判の雰囲気を観察する癖があり、見ていてよく感じた審判員たちの傾向は(特に取り組み進行が遅れていて時間が押されている時に如実に表れていましたが)力士の微妙な軍配時には審判員たちがお互いの眼を見合う「阿吽の呼吸」で申し合いをしているかのような独特な空気がありました。しかし、この「阿吽の呼吸」に関係なく間髪入れずに「物言い」をされていたのが当時の阿武松親方で、この親方の審判裁きを見て「非常に実直な方なのだな」と感心していたことを今でも鮮明に覚えています。

突然襲った病魔

その後、阿武松親方は協会理事となり「審判部長」に就任され、引き続き間髪入れない実直な審判裁きをされていたのですが、ある時「物言い」で場内アナウンスをされた際、突然 阿武松親方が土俵上で支離滅裂な説明を行うという事態が2度ほど発生し、その後から休場となりそのまま退職をされました。退職に至った理由も報道されずに阿武松親方は協会を去られたのですが、その頃はいろいろな騒動があり過度のストレスを抱え身体に異変を感じながらも本場所での審判裁きを継続されていたそうです。「支離滅裂発言」で異変を感じた女将さんが病院へ受診する事を勧め、その結果が「急性期の脳梗塞」でした。ストレスによって突然の高値の高血圧と高血糖状態となり、この事で脳梗塞を患っていたことが判明し大学病院での緊急入院となっていたのです。
この親方は何事についても潔く、「不完全な身体の状態では協会に迷惑が掛かる」との思いから、場所での「支離滅裂発言」の言い訳をすることもなく、この病気が判明した時点で退職する事を決意されたそうです。

嬉しい愛用者

  
実は阿武松親方が病気をされてからは一度もお目に掛かっておらず、私の母も脳梗塞をこじらせて亡くしている事からどうしてもずっと気になっており、やっと3年半ぶりに現在 故郷である福岡で暮らしておられる阿武松親方にお会いしに行きました。
今回は同行して下さったブライテスト社の岩永副社長が「ブライテストウォーター」という身体の細胞にナノ化した酸素を運んでくれる健康飲料を手土産に、そして私は「MAFカプセル」という身体の免疫細胞であるマクロファージを活性させて身体の再生能力を活発化させる健康食品を持参し親方に手渡そうとしていたのですが、玄関でお会いしてびっくり!非常に血色も良く、現在は身体の調子も血液の数値も安定して元気に暮らしておられたのです(心配していたので本当にうれしかったです)。

よくよく話を聞いていると親方は私がブライテストウォーターとMAFを推奨している事を知っておられたそうで、病気発覚後からこの2つの製品をずっと愛用して下さっていたそうです。

失われてゆく昭和の精神と純粋で貴重な頑固おやじの存在

  
お会いしたこの日は5月場所の千秋楽だったのに、14時にお宅に訪問したのに話が尽きず、終わったのは18時で弟子の阿武咲関の千秋楽のテレビ中継も見ることなく話しに熱中していたことに申し訳なく思う位でした。

昨今の世の中は徐々に昭和の良き時代が薄れてきており、心の欧米化も進むことで「和の精神」も失われつつある中で阿武松親方は「実直で純粋だけど野暮でもない」人格者です。そんなお人柄は昭和の「頑固おやじ」みたいな懐かしさがあり、また九州男児の男気はいつも現代の思考に付いて行けない古風な私に勇気を与えて下さいます。

この阿武松イズムの奥義を知り現阿武松親方や不知火親方、そして阿武咲関が継承されていくのだろうと期待しています。

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