本日、阿武咲関が引退を表明しました。
阿武咲関は青森県出身の田舎のやんちゃ坊主で可愛い17歳の入門時からご縁がありました。私も青森県とはご縁があり、少なくとも1年に1回は仕事で同県を尋ねている関係でよく彼を気にかけていました。
順調に関取まで昇進されてしばらくした時「肩関節唇断裂」「膝関節後十字靭帯断裂」の大ケガを負ってしまい、1か月ほど奈良県香芝市の院の近くに宿泊しながら通院されていたこともありました。恐らく香芝市でよく力士を見かけられた方もいるかと思うのですが、皆が近鉄下田駅から当院まで歩いてこられていましたので近隣で「なぜお相撲さんが?」と思われた方もおられると思います。当時は結構な人数の関取が通院されておりましたので、その中で阿武咲関をお見掛けされた方もいらっしゃるかと思います。
関取に昇進してからの大ケガ
先述の通り阿武咲関は肩も膝も手術が必要なほどの大ケガをしていた中で、肩関節の大権威である医誠会国際総合病院の米田稔先生と同じく膝関節の大権威でいらっしゃる正風病院の堀部先生のご指導を仰ぎながら、京阪クリニックの乾利夫先生(再生医療専門医でMAFの開発者)の協力を得てMAFを用いた保存的療法で完治を目指して取り組むことになりました。阿武咲関が20歳から22歳の頃でした。
元関脇益荒男の先代阿武松親方の教え
彼の見た目は先代阿武松親方(元関脇:益荒男)イズムを継承する鋭い眼ですが、礼節を重んじる先代の教えも実践しておられていましたので、声をかけると意外と快く対応してくれる力士でした。
大相撲界も「関取」となると限られた人数となってくるので、どうしても人情やなれ合いになりがちな力士も少なくありません。ただ、阿武咲関は相手がケガをしていても、親しい間柄の力士であっても決して妥協せずに真剣勝負をするという性格で、それは阿武咲関の中に「妥協を許してしまうと相手の力士に失礼だ」という考えがあったからではないかと思います。また、多くの力士を見てきた中でもその傾向が特に強い力士の一人でありました。
工藤パンのイギリストーストが大好物
阿武咲関がこちらに通院されていない時でも、私は出張先の青森に行くと阿武咲関が大好物の工藤パンの「イギリストースト」を買って唐突に相撲部屋に送って驚かせたり、通院時以外でもちょこちょこお付き合いがありました。
九州場所前のエピソード
実は九州場所前に阿武咲関の絶体絶命の危機を知り、千葉県にある阿武松部屋まで出向いたり、九州場所の宿舎にも行ったりして、何とか克服できないかと治療もさることながらセルフケアや負担のない身体の使い方などをアドバイスさせて頂きました。しかし、この時点で阿武咲関は肩関節唇損傷・膝関節後十字靭帯断裂・腰痛に伴う坐骨神経痛・大腿部痛・変形性足関節症が深刻でしたので私の率直な気持ちは「よくぞここまで我慢してやってきた」でした。満身創痍の中でも創意工夫をして克服しようと試みている姿が痛々しくてなりませんでした。
そして阿武咲関が納得して引退が出来るようにとの思いになり、私なりのアドバイスをさせて頂きました。
引退した寂しさよりも安堵の方が…
そして先週に引退する想いの電話をいただいた時「これで彼が痛みの苦しさから開放される」と思うと、引退するという「寂しさ」以上に「安堵した」という思いの方が強く感じたという不思議な気持ちになりました。
阿武咲関、本当にお疲れ様でした!!