当院は本日2023年6月27日をもって、お陰様で開院30年目を迎えることができました。
30年という長い年月を歩んでこられたのも、皆様の温かいご支援の賜物と心より感謝しております。
1993年、はじめは奈良県生駒市 東生駒駅近くのビル内で開院いたしました。
私は元々、医療とは全く関係のない仕事をしておりましたし、家族に医療関係者がいたわけでもありませんでしたが、ある時「本当に人に喜んでもらえる、感謝してもらえる仕事は何だろう?」と考えた結果、この医療の道に進むことを決意いたしました。
開院当初は治療器が「赤外線1台しかない」ところからのスタートでした。
そこからローラーベッドが増え、低周波治療器、超音波治療器が増え...と、患者さんそれぞれの症状に対して「結果を出す」という事を徹底的に追求していくと、どんどんと治療器が増えていきました。そのため今では国内でもトップクラスの医療機器の種類が揃っているため、その組み合わせによって「できる療法」が数年前と比べても格段に増えています。
そして、なんのツテもない状態で1人で始めて30年、色々な人との出逢いによって「施術の幅」も本当に広がりました。
プロ選手第一号は亀山努選手
まず、開院して3年目の1996年にある方の紹介で阪神タイガースの亀山 努選手が来院されました。まだ人気絶頂だった当時、アキレス腱炎で苦しんでいた亀山選手を何とか復活させるために向かった先がアメリカでした。そこでアメリカ足病医の大権威であるDrグレンオッカーと出逢ったことでアメリカの足病医学を学び、現在でも日本では未だに遅れているインソール療法をいち早く治療に取り入れることになりました。また、アメリカで作製した亀山選手の医療用カスタムインソール(オーソティクス)を合わせるためにスパイク、そしてシューズの研究もすることになり、その結果、スパイク職人やニューバランスジャパンの倉田脩平社長ともご縁することになって、より一層「足」の大切さを学んでいきました。
(アメリカ足病専門医Drグレンオッカー)
(亀山選手とカスタムメイドインソール)
プロ第二号はライオネス飛鳥選手
(ライオネス飛鳥選手と長与千種選手)
また色々な方のつながりで、女子プロレスのライオネス飛鳥選手をはじめ当時のほとんどの女子プロ団体の選手を診させて頂いたり、プロ野球、プロテニス、プロサッカー、プロバスケット、プローダー(スケボー)、社交ダンス、プロゴルファー、競輪、水泳、スピードスケート、等々、様々な分野の選手のケガを対応してきたため、それらを経験してきたノウハウが一般の患者さんを診させて頂くうえでとても活かされております。
(吉本女子プロレスの選手たちと)
また、各部位ごとの専門医の先生方とのつながりによって患者さんのセカンドオピニオンを依頼することも出来るようになり、整形外科医の肩関節の大権威である米田稔先生からは肩関節学会や症例検討会の参加を誘っていただいたり、膝関節の堀部秀二先生は適宜症例についてご教授いただくなど、私のスキルをかなり向上させて頂く環境を提供してくださっていました。また耳鼻科では睡眠時無呼吸症候群の先駆者である野入輝久先生からスポーツ選手の睡眠時障害を学ばせていただきました。
そして再生医療の乾利夫先生とのご縁によって筋力や運動神経を向上させる「MAF」とも出逢え、中野先生からは株式会社ブライテストの岩永副社長をご紹介いただいたことで「ブライテストウォーター」というものを知り、患者さんのケガだけでなくもっと大きな意味での「健康」をサポートできる体制までもが整ってきました。
そして今まで当院へ来て下さっている患者さん一人一人の様々な症状が、また次に痛みや不調で苦しんで来られる患者さんに活かされております。
何よりも結果に喜んでくださる患者さんの姿が、これまでの、そしてこれからも私の原動力となっておりますし、またその結果の積み重ねによって各方面の医師から評価を頂いていることも励みのひとつとなっております。
(当院の患者さんで現参議院議員の三原じゅん子さん)
私たちの部門には厚生労働省許可の院があり健康保険療養費の適応する事も出来るのですが、健康保険だけの適応は学生スポーツ選手だけに止めて、一般の方には徹底したヒアリングと崇高な施術を提供させて頂く為め自費療法として運営させて頂いており、全ては結果を出す事だけを目指して妥協を許すことなく取り組んでおります。
「患者さんを治したい」「良くなって喜んでもらいたい」という一心で駆け抜けてきた30年、コロナ渦も乗り越えこれだけ長く続けてこられたのは本当に皆様とのご縁があってのものだと、深く報恩感謝申し上げます。
これからも「トータルヘルスケア」の名のもとに、より一層患者さんの全身の健康にトータルでケア(貢献)できるよう、スタッフ一同日々精進して参ります。