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ブログ2023.01.12

元プロ野球選手の亀山 努さんと新聞記者との久しぶりの同窓会?

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元プロ野球選手の亀山 努さんと新聞記者との久しぶりの同窓会?のアイキャッチ画像

※コロナの感染予防対策として各々が当日の抗原抗体検査とPCR検査を行った上で、撮影時以外はマスク着用の徹底と入室時の手指消毒を施して参加しています。

私が生駒市でトータルヘルスケアを開業した2年目に、関目病院の大変素晴らしいリハビリ主任(現在は此花区でトレーニングジムを経営)の紹介を受けて当時 1軍で活躍されていた阪神タイガースの亀山努選手を診させていただくことになりました。
その頃の私はアメリカのバイオメカニクス理論を学んでいる最中だったのですが、アキレス腱痛に悩まされ国内の名だたる医療機関を受診しても結果が出ない亀山選手の状況を見かねて、当時、国内でもいち早く米国の足病医学(バイオメカニクス)理論の研鑽を積んでいた私に対して、このリハビリ主任のトレーナーが紹介して下さったのです。

青春の1ページを刻んだ亀山選手との思い出

亀山選手とは1995年のシーズンOFFからの付き合いなのですが、当時は大変、酷いアキレス腱痛に悩まされ、プレーどころか日常の生活でも支障を来たしているレベルで、いろいろな医療機関を受診してもなかなか結果が出ない状況の中での当院へ受診となりました。
この頃の亀山選手はプレー中の接触で腰椎(腰骨)を骨折されたり、膝の故障で悩まされたりと思うようなプレーが出来ない状態になっていました。

治療のため1泊3日の渡米に同行

そこに来てこれらの負傷をかばってきた代償でアキレス腱にも負担を掛けてしまっていたのです。先述しました様にスポーツ整形で結果が出ない中での当院の受診でしたが、スター選手を診るには荷が重いと考え、アメリカ足病医学の大権威であるDrグレン・オッカーに依頼をしてキャンプを一時中断してまで、1泊3日の強行日程でロサンゼルスに同行をした報道を思い出す方もいらっしゃるかと思います。
結果的にはDrグレン・オッカーの治療プログラムを持ち帰り、実践したことにより1年間も棒に振っていたアキレス腱の症状が、わずか3週間で結果が出たという感動的な内容でした。

ジャガー横田・ライオネス飛鳥選手との合同自主トレが各社スポーツ紙の一面に

アキレス腱痛も無事に治り、次のシーズンOFF期間に当院の患者さんであったジャガー横田選手とライオネス飛鳥選手が活躍する吉本女子プロレスと亀山選手とで合同自主トレを行う事で意気投合し、自主トレこそ亀山選手の体調問題(鼻中隔の手術後であった事)で実現はしなかったものの、当時、生駒市にあった当院でジャガー横田選手とライオネス飛鳥選手に亀山選手を交えて話し合ったことが大変思い出となっています。

マスコミ嫌いの私もその品行方正な人柄に惚れた新聞記者

この女子プロレスラーと亀山選手との対談は新聞各社が一面に掲載をするほど話題になったのですが、亀山選手はタイガースのスター選手なだけに、当時、亀山選手の個人トレーナーをしていた私のもとにも、日ごろから多くのマスコミの方が来られていました。
ただ当時のマスコミはあたりかまわずズケズケとしていて、私は大変毛嫌いをしていました。
そんな中、女子プロレスラー&亀山選手の会談の際に初めてお会いした記者が、当時のデイリースポーツの虎番記者で現在はフレーランスで大手スポーツ紙の記者として活躍されている上記写真の一番左の方です。
この記者はマスコミなのに特ダネでも相手の人権を最大に尊重する誠実さの持ち主で、この記者との出会いが私の「マスコミに対するイメージ」を刷新してくれたのです。
例えば、私のもとには日本を代表するアスリートやプロスポーツ選手も来られていて、中には選手からいろいろと悩みを打ち明けられたりする事もあります。そんな時に私はこの新聞記者に相談を持ち掛けて情報収集をしてもらう事があったのですが、中には「特ダネ」としてマスコミなら絶対に取り扱いたい内容であっても、この記者は必ず私や選手の承諾を得てからでしか報道しないというポリシーを貫き通されたのです。
他の記者であれば「特ダネ」欲しさにそんな承諾を得ないまま勝手に報道するのがごく当たり前だった時代に、彼は最も選手や相手の人権を思いやる人間だったため、私は絶大な信頼を置いていました。

亀山務選手の引退

重度のケガを重ね過ぎていた亀山選手にも限界が訪れ、引退する事になったのですが、この引退試合後すぐに当院に引退試合で着用したユニフォームを持ってきてくださり、その日の晩は治療院で亀山選手と語り合い、ついには引退直後の亀山選手がそのまま治療院で泊まり込むまでに至りました。もちろんマスコミ人は引退直後の亀山選手のコメントを取ろうとしらみつぶしに探している中で、私はこの記者だけには所在を明かしていました。しかし、この記者は亀山選手を思いやり、取材を行わずにそっとしておいてくれたことを今でも鮮明に覚えています。

引退後もよく会う盟友関係に

亀山選手とは、引退後も何度が一緒にテレビやラジオに出演したり、北海道の知床の番屋に行ったり、マウイマラソンに出場したり、ライオネス飛鳥さんと亀山選手が一緒に私が開発した「すこぶるウォーカー」のCMにも出て下さいました。他にも語り尽くせないほど数々の思い出があります。
また、このマスコミの方とも定期的に会っていたのですが、昨今の感染力の強い567関係でなかなか会う事が出来ませんでした。しかし昨晩は3年ぶりに会うことができ、同窓会の様に昔の話に花を咲かせ、途中からはライオネス飛鳥さんとも電話で話したりと、本当に楽しい時間を過ごすことができました。

亀山選手もマスコミの記者も私がMAFの研究をしていることを知って注目

もう、みんないい年になり健康不安が出てくる中で、亀山選手もマスコミの記者もMAFに興味津々でしたのでこの続きは次回に説明します。

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