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ブログ2021.07.14

安永一郎弁護士という素晴らしい先生のおかげで30年の節目を…

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1993年6月にトータルヘルスケアの前身である栄光へルスケアが東生駒駅近くで開業し、今年で28年を経過、あと2年で大きな節目である設立30年を迎えます。
開業当初から多くの患者様が通院して下さっていましたが、当時の私はまだ世間知らずの若者で、勢いに任せてしばらく運営を行うも、3年ほど経過した頃から試練が訪れました。その私の苦悩を知った元上級警察官の知人が紹介して下さったのが「安永一郎」弁護士でした。
この安永弁護士は一目見た顔つきは鋭く、また思考や視点も相当に鋭かったため、若い私には当初とても怖いイメージしかありませんでしたが、後に院の運営が順調に進んで「個人事業」から「法人化成」した際には、会社の初めての顧問弁護士として安永先生に就任していただきました。

交通事故に遭った患者さんなどに安永弁護士を紹介すると、男性でもへこんだり、女性の方であれば泣いてしまう位、鋭くて強烈な視点を持つ弁護士でしたが、私も含めて全ての案件で理想的な解決をしてくださる敏腕弁護士でありました。

いつしかこの厳しい弁護士の事を私は「安永の父っつぁん」とあだ名をつけていましたが、時々、一緒に大衆的な居酒屋や大阪の放出(はなてん)にあった屋台のおでん屋で関東煮をつまみながらお酒を飲んで説教なのか?人生哲学なのか?ご指導ご鞭撻のお言葉を頂きながら盛りあがるような間柄になりました。

この「安永の父っつぁん」を敏腕弁護士だと痛感したのが、私が「スピード超過違反に関する取り締まり」を受けた件に対して不服とした裁判を起こした時のことでした。
実際、私の車はその時 自動運転技術で60キロ以上の速度が出ない設定にしていたのでスピード違反はしていなかったのですが、スピード違反をしていた他の車と取り違えられ「70キロ以上の速度が出ていた」と取り締まりを受けました。ただ、そのまま取り締まりを受けていれば たかが1点か2点ほど減点されるだけで済んだ話だったのですが、どうしても妥協を許さない私の性格が出てしまい、その事を承服できず裁判になった事件でした。

この件をはじめは「安永の父っつぁん」に依頼するのがとても怖かったのですが、いざ相談すると直ちに取り締まり現場に急行してくださり、現場の視認状況や実際の警察官の取り締まりの有効性についても、とても厳しい独自の視点で実況見分され、客観的第三者の証人も見つけ出すなど徹底的に検証されたうえで「よし、検察にはしっかりと自信をもって否認しなさい」「もし、起訴されても徹底的にやる」と言う力強い言葉を頂きました。その事は今でも鮮明に覚えています。
この裁判を進めるにあたり取り締まり現場に安永の父っつぁんと何度も足を運んでいたのですが…気付けば毎回どこからか私服警官や制服警官が現れてきて職務質問をされてしまう始末!しかし、安永の父っつぁんはご自身の名刺を見せ警察官に対して「君たちは逆に我々が正当な実況見分をしていた証人になるから、今度会うときは裁判所でゆっくりと話を聞かせてもらうから!待っといて」と自信満々。さすがの警察官も退散せざるを得ない雰囲気になっていました。
そして一審こそ負けましたが、次の高等裁判所での結末は、新聞各社やNHKでも取り上げられ「99%以上は負ける」と言われる交通刑事裁判ですが歴史的な「公訴棄却」の「完全無罪判決」となりました。
※高等裁判所での審理は安永一郎弁護士が中心となって友人の仲元弁護士も加わっていただき審理された裁判です。(詳細については下記のマガジンXをご覧ください。)

また、もう一つのエピソードなのですが、7~8年ほど前に身内でのトラブルに巻き込まれる事態になった件です。
この時も私の苦悩を安永の父っつぁんはとても理解して下さり、私が抱えていた悩みを晴らすかのように問題解決にあたって下さいました。
実は今でこそ話せる内容なのですが相手方の弁護士はこれまでの経験から3本の指に入るくらいのとても面倒で厄介なクライアントだったとの説明をわざわざ父つぁんに…
確かに相手側の主張は常に支離滅裂しており、相手側の弁護士までもが完全にお手上げ状態になっていたほど理解不能な案件でした。
その中でも百戦錬磨の父っつぁんは相手側の弁護士にもアドバイスを行いながら協議を進め、こちらの思い通りに解決して下さいました。この件が一件落着した後には相手の弁護士が父っつぁんに「お世話になりました」と頭を下げ、また謝罪していたことがとても印象的で法曹界における父つぁんの実力と人柄がどれだけ偉大であったのかが思い知らされた瞬間でした。

しかし、この安永の父つぁんに病魔が襲い、この6月初旬にお亡くなりになられました。
私が開業して間もない時からの青春の1ページというか、人生の師であった父っつぁんの予想だにしていなかった突然の別れはあまりにも悲しすぎて一報を受けた時には泣いてしまいました。

ちまたには「人情弁護士」などともてはやされTVに出演したり議員になられた方々もおられますが、生粋の「なにわ」の人情弁護士!!で庶民や社会的弱者を救済するために戦った裁判でも逆転無罪判決を勝ち取られニュースに取り上げられたMr弁護士こそがこの安永の父っつぁんでした。
この父つぁんは電話での弁護士相談でも熱心にご指導を下さり、弁護士事務所に連絡を入れて不在であっても必ず折り返しの連絡を入れて下さる厳しいながらにも敷居の低い弁護士先生でした。
そして、本当に細部にわたり案件に真摯に取り組んでくださり、人が気づかない盲点を紐解いてゆく姿も何度も見させていただきました。
これまで私や患者さんをはじめとして高校時代の恩師の問題の解決にもご尽力いただき、誰に紹介しても全ての方に喜んでいただける「紹介して本当に良かった」と思える弁護士でした。

先日、父つぁんの事務所に名残惜しく訪ねて事務員さんと生前の父つぁんの話で盛り上がっていたのですが…
もう、父っつぁんの様な弁護士には一生お目にかかる事は出来ないと思います。(涙)
恐らく一旦禁じておられた好きなタバコ吸いながらお酒を飲んで〆のラーメンを食べて、そして趣味である「ヘラブナ」釣りを楽しまれ一休みされてから、来世でも庶民派弁護士として困っている多くの人を救済されるお役目の敏腕弁護士としてご活躍なされると確信しております。
これまで本当にご指導有難うございました。懇ろにご冥福をお祈り申し上げます。

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